金曜日, 8月 29, 2008

【HTML5】 標準が生き残るのは学習コストが見合う場合に限る このエントリーを含むはてなブックマーク



「今後はWeb標準に準拠してください」、マイクロソフト

 本当にマイクロソフトの言葉だろうか。かつて、IEとActiveXが、Windows Updateで「トロイの木馬」のようにユーザのPCに侵入してきて、それに気がつかないまま便利だから使っているうちに標準となっていく時代があった。(XMLHTTP通信はまさにそうだろう?) 
 かつてあれほどまでに独善的野望をもって執着してきた特権をマイクロソフト自身が捨てるような発言をするなんて、にわかに信じがたいものがある。でも、今はそういう時代ではないことが、HTML5の登場の背景を知ると理解できる。

HTML5が持つ本当の意味

 
<前略>こうした状況に業を煮やしたSafari、Moziila、OperaなどのWebブラウザベンダは、2004年6月にWHAT WGという団体を発足します。彼ら自身は同団体の発足声明の中で、WHAT WGを、いわゆる業界団体のようなものではなく、現場の個人個人が集まって構成した非公式な集まりだと説明しています。

 WHAT WGは、すでに説明した「Web Forms 2.0」のほかに、アプリケーション開発向け仕様の「Web Apps 1.0」、UI設計用の「Web Controls 1.0」のマークアップ言語・APIの策定を行います。Level0からLevel3まで、すべてのDOMの仕様策定に7年もかかったW3Cの遅すぎる標準化プロセスに対して批判的な人々というだけあって、仕様策定も実装もハイピッチで進みます。


 Canvasに代表されるような、IE非互換の仕様が多く支持されるようになったのは、FirefoxやSafariなどのブラウザの影響が大きい。これらは数のうえではまだIEには及ばないものの、性能面ではIEを圧倒するようになっている。今や主導権はこれらのWebブラウザベンダのものとなり、WHAT WGという形で仕様策定に参加してHTML5を作りあげてしまったのだから、マイクロソフトとしては、Web標準に準拠といわざるをえなくなったのだろう。

 まあ、それはいいとして、私自身、納得のいかない点がひとつある。それはXHTMLのトーンダウンである。XHTMLは、データの形式や構造をきちんと定義させることで、セマンティクス、すなわちHTMLのデータに意味をもたせるものとして、非常に重要な役割があると信じてきた。単なる文字データであったHTMLを、コンテンツの「すべての付随する利点を伴った XML の世界に参入できる」(by kanzaki web)。しかし、XML拡張による複雑性が災いしているのか、XHTMLによるセマンティックウェブ化は当初の思惑通りに進んでいないように見える。


2000年前後にバーナーズ・リーが描いた絵は大きいものでした。すなわち、HTMLをXMLへ移行させ、さらにXMLで定義された概念辞書などを使ってメタ情報を扱う。そうすることでウェブは単なる文字や画像の表示装置ではなく、意味論のレベルで有機的に構成されたシステムへと進化するというシナリオです。バーナーズ・リーは、この次世代ウェブを“セマンティックウェブ”と名付けて精力的に売り込みます。2001年には「サイエンティフィック・アメリカン」で取り上げられるなど、セマンティック・ウェブという名前は、一時バズワード的に広がりました。セマンティック・ウェブを実現するための関連仕様も、 RDF、OWL、GRDDLと、W3Cは次々とリリースしています。<中略>
XHTMLへの移行やセマンティック・ウェブの普及がなぜ起こらなかったかといえば、それはHTMLに比べて扱うのが難しすぎたからでしょう。
 記者の私見ですが、こうした例はHTMLとXHTMLに限らず、あちこちで起こっているように思えます。読むのも書くのも人間にとって負担の大きいXMLに対して、シンプルなYAMLが少しずつ広まってきているのが1つの例です。


 HTML5はセマンティック・ウェブの実現においても効果を発揮するという。しかし、それぞれのアプローチは明らかに異なるため、今後の仕様策定においても共通項を見出すことはないように思える。

XHTML 2とHTML 5はまだ別々の道を歩む

 HTML5はたしかに魅力的であり現時点で最も有力な標準仕様である。しかし、この路線で将来にわたっても発展していくかどうかはまだ何ともいえない。マイクロソフトをやり込めた後では新たなモチベーションが必要だろう。我々開発者は、この2つの仕様を見比べてみて、単純に新しい機能が豊富だからというだけではなく、互換性や生産性、将来性(方向性)、学習コストを考慮したうえで選択するのが最良の方法だと思う。とりわけ、学習コストが折り合うかどうかは重要である。せっかくのよい技術でも、もし折り合わなければ誰からも見向きされなくなり、そのうち忘れ去られていくことになる。今は盛り上がっているけれども、一時的なものではないのか?人には有限の時間しか与えられていないのだから、学習コストについてはよくよく考えるべきである。

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