今、iPhoneバッシングが酷い。
誰のための携帯電話か?
発売されてまだ3ヶ月しか経たないのに、あんなに熱く語られ、発売日には行列まで作った消費者がここまで豹変するのはめずらしいのではないだろうか。なかにはまるで詐欺にでもあったかのように憎悪を抱くものさえいる。
しかし、否定的になった今だからこそ見えてくるものもある。
醒めた頭でもういちど読むことをおすすめしたい記事。
あまりに熱い『iPhoneという奇跡』
今読むと当時の熱狂ぶりが思い出されてちょっと引いてしまう部分もあるのだが、垂直統合モデルの話はなるほどそうかもしれないと思った。iPhoneは、1984年にMacintoshが登場したときのショックに似ている。Macintoshは垂直統合モデルであり、現在のPCのモデルに大きな影響を与えた。
あらゆる革新的な製品は垂直統合モデルから誕生します。いかに最後は負ける運命であっても、OASYSが載った富士通や一太郎が載った日本電気のようなモデル、つまりハードウェアからアプリケーションまで一体化された斬新な体験によって、新技術に突破口が開けるのです。
かつて、アップルは、1988年に未来のコンピューター社会のライフスタイルを示す「Knowledge Navigator(ナレッジナビゲータ)」構想を発表している。<参考>駆け足過ぎるMacの歴史年表
未来のコンピューター社会のライフスタイルに適用させるために、パーソナルコンピュータからノートPC、そして、PDAといったようにコンピュータは進化していったのだが、私はiPhoneはこの構想の延長線上にあるのではないかと思っている。
しかしながら、iPhoneは携帯電話とPDAの両方の機能をもつものの、別の進化をすすんできた携帯電話の壁は厚く、実務に耐えうるPDAは現状はないに等しい。そのなかでブレークスルーは簡単にはいかないだろうと思う。
アップルはiPhoneをきっかけに実質的に携帯電話事業を始めたわけだが、これが諸刃の剣であることが私にもやっとわかってきた。要するに、PC、PDAやiPodの事業と同じようなホビー的な考えでは失敗する危険性が高いということ。今でこそ実用的だが、かつてPCはマイコンと呼ばれたようにホビー的な要素が強かった。PDAは現在もまだ発展途上にある「オモチャ」、iPodはホビーであることはいうまでもない。一方の携帯電話は、ミッションクリティカルな要素が高く、高機能より実用性が重要視される。「おもてなし」は実用性があってはじめて成り立つ概念である。
餅は餅屋
アップルは携帯電話事業者にならなければならない。今後はアップルの本気度が試されることになるだろう。
現在の状況を予言するかのようなことを07/14の時点に書いているkorlyさんはあまりに凄すぎる。
あまりに熱い『iPhoneという奇跡』のコメント
SoftBankSHOPおよび携帯販売店で販売することにより『技術の世界で今後もずっとやっていく』事と無縁な層を巻き込んでしまった日本においては、むしろ黒歴史的瞬間になってしまったのかな、という思いがあります。
携帯電話とiPodの延長線上を思い描いてiPhoneを手に取ってしまった人にとっては2年間に及ぶ悪夢の始まりでしかなく、その憎悪がSoftBankとappleに向けられることは避けられないでしょう。
これは、そのように仕向けた(としか思えない)マスコミの報道にも問題がある事ですが。
一時の話題性と引き換えに、基礎工事を台無しにしてしまった。
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