月曜日, 11月 20, 2006

楽をするために苦労を厭わない人たち - Seasarカンファレンス(秋) - このエントリーを含むはてなブックマーク


ものすごい熱気と情熱が感じられたイベントだった。Javaのイベントでこんなに人が集まるのか。
そして皆若い。

受講者は20代の若者がほとんどで、講師の平均は30代だろう。理事クラスが私と同年代といったところか。私は20代の受講者に混じって席取り競争に参戦したというわけだ。ひー。

ところで、Seasarのイベントでは、Javaの健在ぶりが感じられて非常によかったのだが、喜んでばかりもいられないかなとも思った。それは、EoDというところにこだわりすぎている点。EoDの究極は作らないことだが、作らないということは、再利用かあるいは自動生成ということになるのだろう。SeasarのDIとAOPの特長を生かすとしたら、自動生成より再利用の方が合っているのではないかと私は思うのだが、Seasarの連中は自動生成の道を選択するらしい。

私はちょっと違和感、危機感を感じてしまった。

Rubyのようなスクリプト言語がWeb2.0の主役となったのは疑いの余地はない。自動生成の道は、RoRに影響されたのかもしれない。SeasarがRubyを意識しすぎなのは今に始まった話ではない。しかしWeb2.0の主役になれなかったからといって、今更、LAMPの生産性に追いつこうと思っても、とうてい無理に思える。

Seasarを理解して開発することは結構大変だ。楽のために苦労するところは結構ある。「楽をするために苦労を厭わない人たち」という表現は、彼らのためにあるのだろう。なぜなら、すげー楽になった!と、毎日、毎日、寝る間を惜しんでフレームワーク作りに明け暮れているからだ。ここで一度冷静になって考えてみてほしい。Javaフレームワークよりスクリプト言語の方がはるかに楽ではないか。

Super Agileとか、Easy Enterpriseは、たしかにいい言葉だ。ワンフレーズで分かりやすいのは結構な話だが、Webアプリケーションをサクサク作るっていわれても、本当にそのようにできるのか。私はJavaで作るWebアプリという発想そのものが疑問符「?」である。LAMPの台頭で、それがもう否めない時期にきているのではないか。

また、プレゼンテーション層に限っては、リッチ化という大きな流れがある。これはもう生産性の話だけではない。JSPだけでは表現力に限界があるし、画面駆動といったって、プレゼンテーション層がサーバにあるのは、Ma○○や、Tee○○にしても同じことだ。AJAXやFLEXのようなUIを実現することをサーバで担おうと真剣に考えているのは、今の時代、Javaぐらいだろうと私は思う。「Webアプリ=Java」の時代はもう終わってしまっていると私は思う。それを真摯に受け止められるかどうかがJava陣営の試練であり課題でもある。

次回は、私が考えるプレゼンテーション層の設計について述べたい。

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